紀要なるものを「知った」
実は、学科の紀要委員をしている。
僕の理解では、紀要とは、大学の学部や学科などが発行している論文集で、最大の特徴は査読がないということではないかと思っている。
米国科学アカデミー紀要(PNAS)などは、査読もあるし、レベルの高い学術雑誌と認識されているが、日本における紀要は大概、査読がない。
(常にtopジャーナルに論文を出している人からすればPNASも「まぁまぁレベルが高い」程度と思われているだろうが、僕なんかからすれば掲載されるにはレベルが高い)
それゆえ、紀要はあまり業績として重んじられていないように思われる。僕のような生物学分野の人間は、PNASやProceedings of the Royal Society(日本語だと英国王立協会紀要?)くらいしか紀要というものに論文を投稿する習慣はないように思う。
日本では、業績は論文の “数” こそがものを言う場面が多いので、査読付き論文はないのに紀要ばかり書いて数を稼ぐ研究者もいると、よく研究者界隈では揶揄されている。紀要とは、あまり印象の良いものではなく、自分で書く機会もないだろうと思っていた。
しかし、学科の紀要委員になってしまい、ある程度勉強することになった。仕事自体は、「めんどくさい」の一言でしかないが、その周辺にある文化は、なかなか面白いものであると気付いた。
同僚の先生たちとの会話の中で、紀要というものの有用性を幾つか教えてもらった。
まず、客観データが少ないとか、議論が自由すぎて査読付き論文だとレビュアーにいちゃもんつけられてなかなか掲載されないような論文、もしくは自由なアイデアを発行することができるという点。これは、研究者コミュニティ内での議論の促進には悪くはない面もある。実際、昨今の科学論文は、多くの研究者が大きな「一発」を狙うため、実験にも何年も時間ががかかるし、査読にも何年も時間がかかる。査読の過程で追加実験も要求される(かんのはしない主義)。結果、「コミュニティ全体としては、議論が遅れることになるのではないか?」という指摘はよくなされる。
次に、翻訳に関して。売り上げの見込みなどから、出版社がなかなか出版に踏み切らないようなマイナな文献の翻訳が、こういった紀要に掲載されていることが多いそうだ。我が学科の過去の紀要のリストなどを見てみたが、確かにマイナなのではあろうが、大して詳しくない僕のような人間からしても、歴史的に有名な学者や作家の文献が翻訳されていることも少なくないように思われた。これは、学部生などの初学者や、アニメや小説、演劇などの創作活動をしている人たちには、とても有用に思われる。原典をあたって自分が考えた訳と比べたりすれば、良い学習にもなりそうだ。
また、扱われている言語圏にも注目したい。
科学研究をやっていると、どうも英語が世界のスタンダートに思えてくる。しかし、当たり前の事実として、世界はもっと多様な言語・文化に溢れている。我が学科でも、日本、中国、ドイツ、フランス、北米などの文学を専門とする先生がいるし、それらの歴史を専門とする先生たちもいる。歴史であっても、研究テーマは芸術分野に多かったりする。日本のものでも海外に輸出されたものもあるので、国際的な関係論や文化交流の話にもなるだろう。大学受験までの歴史では、戦や政治が中心になるが、研究の前線では芸術文化史が、実はメジャな分野なのでは?と、最近自分では観測している。趣味として僕も読みたいところである。
ちなみに、人文学科の先生たちは、語学が堪能な方が多い。若手の同僚の兄貴な先生は、仏文なのに、なぜか中国やアラビア語にもお詳しいし、話せるようだ。何者?
原稿をまとめる作業をしていると、投稿形式の文化の違いにも驚かされる。縦書きと横書きの原稿が一冊に混ざるので、右開きと左開きで、両側から原稿が始まる。驚くべき事実である(人文学分野では普通なようだ)。word原稿自体も「なぜその体裁に…」とおもうこともあるが、一貫した何かを感じる。分野ごとの歴史があるのだろう。メールのやり取りをしていても、独特な体裁だったり、たぶん、とても経緯を表した挨拶をしてくれているのだろうけど、僕では読めない言葉もあるよ…
話が逸れたが、よく一緒に仕事をする先生は美学の先生なので、いろいろ話すことが多い。楽しい日常である。最近、僕は行動生物学から美学に迫れないかと目論んでいるので、勉強したい分野である。哲学の先生も、美学研究をされているように見受けられる。他の哲学の先生は、科学哲学や科学の認識論が専門なので、僕も勉強するべき分野である。
かように興味深い分野が、紀要に載っている。紀要は近年、様々な大学のリポジトリで公開されているので、学生のみなさんもレポートなどで引用するとよかろうかと思う。これが、タダで読める。
昨今の大学行政では、人文系学問は一種の「無駄」として扱われがちだが、元来、文化や芸術といったものは、必要最低限からの超過分であり、無駄である。動物の装飾も、ある種の「無駄」とされる(僕の専門)。その無駄さが、多様で面白い。どのように無駄であり、無駄ではないのかは、どこかで読んでいただきたい。
この紀要というものに関して、僕の最大の利点に、気付いたのが、それは、その辺に著者がうろうろしているということ。読んだら質問ができる。
ちなみに、今回初めて、僕も紀要論文を書いてみましたん。